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明治時代を考えようLINK集

改革

明治天皇が即位、新政府は天皇を中心とした新しい国家体制を築くことを目指し、新たに江戸を東京と改め、天皇が東京に行幸してここを日本の新しい政治の中心にすえた。 尊皇思想に基づき、天皇は親政を行い人民を直接統治するとしたが、政治体制は大日本帝国憲法(明治憲法)が制定されるまで、様々に変化した。中国明朝などに準じ一世一元制を定め天皇の謚号は元号とし、それまでの陰陽道的改元を廃止した 。

悠々自適

新政府は欧米列強の軍事的・経済的圧力に対抗するために、天皇を中心とした中央集権国家の構築を目指した。新政府は、1869年(明治2年)には各藩に版籍奉還を命令し、1871年(明治4年)には、廃藩置県を行った。地租改正によって従来の米年貢を廃止し、金納地租に代えて財政基盤とした。国民には、江戸時代の自由の制限をなくし、身分の撤廃を行い四民平等とし、日本全国の行き来の自由を認め、職業の選択の自由や、散髪帯刀の自由など様々なことを改革していった。

栄華

征韓論をめぐって、強硬派の江藤新平・西郷隆盛・副島種臣・板垣退助・後藤象二郎の5人は大久保利通・岩倉具視らと対立し参議を辞任した(明治六年政変)。その結果、大久保利通の独裁体制が確立することとなった。 一方、下野した5人の参議は以下の行動を取った。西郷隆盛は故郷鹿児島に戻り、私学校を建設した。また、板垣、後藤、江藤、副島らは、1874年(明治7年)に民選議院設立建白書を政府に提出して有司専制を批判し、議会開設を主な要求とする自由民権運動の嚆矢となった。その後、江藤は故郷の佐賀に戻り、明治維新によって特権を失った不平士族をも巻き込んで佐賀の乱を起こしたが鎮圧された。(wikipedia参照)